この前書いた記事が意外と反響がありました。
女性らしさについて嫌な思いをしたことがある、
そういう女性は多いのかも。
タロットのお弟子さんと話してたとき、
可愛いと褒めてもいつも受け取らないので
それを突っ込んでみたら「ほんとだー!」て自分で驚いてました。
自覚が無かったそうです。
うん、自分のことは一番わかんない 笑
褒めても受け取ってくれない。
だからいつまでも自信が無い。
受け取らなくなった理由は過去にあったりします。
その辺のことお弟子さんがブログに書いてました。
女性にはこういう過去の出来事あるかも。
それは思いのほか深く自分に残っていて自覚も無い。
私にもありましたよ。
自分らしさも同じなのかも知れません。
自分らしくのびのびしていたら親に怒られた。
先生に怒られた。友達にいじめられた。
そういうことがあって
自分らしさを出さなくなった。
そのうち、何が自分らしさなのかも忘れてしまう。
忘れているのになぜか息苦しくなったりする。
私は高校生ぐらいからあまり学校に行かなくて
自分らしさをすっかり見失ってました。
学校で良く分からないルールとか、
思想を押し付けられるのが嫌だったみたい。
そんな私にも20代でニューヨークに住む機会が訪れ、
初めはカルチャーショックの連続でした。
あなたはどう思うの?
あなたはどうしたいの?
あなたはどんな人なの?
日本では聞かれたことが無い質問をされる。
そこには年齢も肩書きも性別も関係ない。
私個人という存在。
個人という単位で見られる世界。
そういう質問をされて
初めて自分について考えるようになった。
女性でもなく、日本人でもなく、年齢でもない自分。
それは何だろう。
全ては自分で決めていい。
それが自分の人生だから。
あなたはどうしたいのですか?
そう聞かれたら、
あなたは何と答えるだろう。
自分らしさとは、
自分がどうしたいのか。
それを考えた時に、私は、
「自分のままで楽しく生きたい」と思った。
何かを成し遂げたいとか、目標とかはなくて、
自分のままに生きてそれで楽しくいられたら、
そして周りの人も楽しんでくれたらいい。
そんな風に思った。
でも日本に帰ってきた時のギャップがすごくて、
それには苦しみました。
大人とはこういうものだ、
30代とはこういうものだ、
人生とは幸せとはこういうものだ。
すべてにスタンダードがあって
そこから外れるものは存在を無かったことにされてしまう。
うーん。
今はもうちょっと緩くなったかも知れないけど、
帰国した当時のギャップが強烈で
「あー、日本で幸せになることは諦めよう。」
と思ったのでした。
自分の幸せはスタンダードじゃないし、
自分の幸せは自分で決めるし。
その結果、変人扱いされたとしてもいい。
自分らしく生きなきゃ死んでるのと同じだと。
自分のままで行ってみよう。
そう決めて働いてみたら楽しかった。
同じような考えの人に出会えたし、
その人達が楽しい世界を教えてくれた。
こんな働き方もあるよ、
こんな生き方もあるよ。
視野が世界が広がった。
幸せになることを諦めた結果、
幸せなのでした。
迷ったら「自分がどうしたいか」
そこに戻っていけばおのずと答えは出る。
もし答えが出なければ試してみればいい。
試行錯誤も楽しい。
人生に正解は無いのだから。
私もいっぱい失敗したし、
時間を無駄にしたことある。
それも今では笑い話です。
明日はタロットイベントだよー★
注)今回はぶるぞんコンビは出ません。。。